山本智之の「海の生きもの便り」

2024年7月 Writer: Tomoyuki Yamamoto

第41話 擬態のふしぎ ~ノコギリハギ

ノコギリハギ=山本智之撮影

ノコギリハギ=山本智之撮影

■鮮やかな模様をもつカワハギの仲間

 静岡県・伊豆半島で潜水中に、くっきりとした鮮やかな模様の小魚と、目が合いました。カワハギの仲間の「ノコギリハギ」(Paraluteres prionurus)です。

 せっかく出会った美しい魚です。水中カメラで30コマほどシャッターを切り、色々な角度から撮影しました。こうして何度もストロボの光を浴びると、魚の種類によっては、驚いて逃げてしまうこともあります。でも、ノコギリハギは同じ場所をゆったりと泳ぎ回り、遠くへ逃げるそぶりを見せませんでした。

 どこか悠然として、落ち着き払った態度です。なぜでしょうか? もしかするとノコギリハギは、自分の姿が「毒魚」とそっくりであり、そのおかげで比較的、外敵に襲われにくいということを知っているのかもしれません。

■毒をもつ魚に超そっくり!

 その毒魚の名は「シマキンチャクフグ」(Canthigaster valentini )といいます。小型のフグで、体のサイズはノコギリハギとだいたい同じくらいです。

 下の2枚の写真を、見比べてみてください。左がノコギリハギ、右がシマキンチャクフグです。両者の体の模様が「超そっくり」であることに、驚かされます。

体の模様がそっくりな「ノコギリハギ」(左)と「シマキンチャクフグ」(右)=いずれも山本智之撮影

体の模様がそっくりな「ノコギリハギ」(左)と「シマキンチャクフグ」(右)=いずれも山本智之撮影

 体形は、シマキンチャクフグのほうが、ややポッチャリとしているのに対し、ノコギチハギは平べったいという違いがあります。しかし、泳いでいる姿を横から見た場合、両者はまったく同じ種類の魚にしか見えません。

■「キタマクラ」の仲間のフグ

 フグの仲間は、猛毒の「テトロドトキシン」を持っています。同じフグ科でも、毒のある部位や毒の強さなどは種によって異なりますが、体の小さなフグであっても安心はできません。

 シマキンチャクフグは、フグ科の「キタマクラ属」に分類されます。キタマクラ(Canthigaster rivulata)は本州の沿岸でよくみられる小型のフグです。

 キタマクラは漢字で書くと「北枕」。亡くなった人を寝かせるときに枕を北に置く風習に由来するとされ、その和名からは「毒があるから食べないで」というメッセージが伝わってきます。

■判別のポイントは「ひれの形」

 では、ここで問題です。オレンジ色のソフトコーラルに寄り添って泳ぐ、この魚。「ノコギリハギ」と「シマキンチャクフグ」のどちらでしょうか――?

この魚の名前は?=山本智之撮影

この魚の名前は?=山本智之撮影

 正解は――「ノコギリハギ」です。
 両者を見分けるうえでポイントとなるのは、「ひれの形」です。下の比較写真を見てください。「背びれ」と「臀(しり)びれ」の輪郭を、それぞれ水色のラインで示しました。

「ベイツ型擬態」とは何か

 「背びれ」と「臀びれ」に着目すると、ノコギリハギはひれの幅が広いのに対して、シマキンチャクフグはひれの幅が狭いことが、お分かりいただけると思います。

 

 ただ、両者ともに「背びれ」と「臀びれ」の色は透明です。このため、光の加減によってはひれの形が見えづらいこともよくあります。海中を泳ぎ回っている個体を一瞬で見分けるのは、なかなか難しいかもしれません。

■「ベイツ型擬態」とは何か

 カワハギの仲間である「ノコギリハギ」は、体に毒を持っていません。こうした無毒の生物が、毒のある生物に似た外見をもつ現象を「ベイツ型擬態(ぎたい)」といいます。

 ベイツ型擬態のメリットは、有毒生物の「そっくりさん」になることで、天敵に襲われるリスクを減らせることにあると考えられています。つまり、自分を襲う捕食者の目を欺くことで、身を守ろうとする戦略なのです。

 「ベイツ」というのは研究者の名前です。イギリスの博物学者ヘンリー・W・ベイツ(1825−1892)は、アマゾン川の流域で、無毒のチョウが有毒のチョウに似た姿に擬態する現象を発見しました。

 日本に分布するチョウでは、奄美諸島以南に生息するアゲハチョウ科の「シロオビアゲハ」(Papilio polytes)が、ベイツ型擬態の事例として有名です。シロオビアゲハのメスの中には、捕食者の鳥が嫌う有毒なチョウの「ベニモンアゲハ」(Pachliopta aristolochiae)にそっくりな模様を持つ「擬態型」というタイプが存在します。
 このほかにも、毒針を持つハチにそっくりな姿をしたカミキリムシの仲間、毒蛇に模様がよく似た無毒のヘビなどが、ベイツ型擬態の例として知られています。

■「進化のふしぎ」を実感

 「擬態」は、「周囲の環境や他の生物種をまねることによって、何らかの利益を得ること」(『生物事典』旺文社)と定義されます。擬態には、ベイツ型擬態のほかにも、さまざまなタイプがあります。

 たとえば、ハチの仲間は多くの種類が体に黄色と黒の縞模様を持っています。これは、毒を持つ生物種どうしが互いによく似た警告色をもつ現象で、「ミューラー型擬態」と呼ばれます。ドイツの博物学者フリッツ・ミューラー(1821-1897)の名にちなんだ擬態のタイプです。こうした「あえて目立つ」ことによる擬態(標識型擬態)とは逆に、自分の姿を隠して身を守るタイプの擬態は「隠蔽(いんぺい)型擬態」といいます。擬態は幅広い生物種にみられるうえ、その戦略は実に多様なのです。

 それにしても、ノコギリハギとシマキンチャクフグの体の模様は、あまりに似すぎていると思いませんか? 背中から腹にかけて並ぶ鞍状の黒い帯、体側に散らばる淡い褐色の斑点、そして鮮やかな黄色い尾びれ――。それなのに、両者はそれぞれ「カワハギ科」と「フグ科」という、異なる科に属する別グループの魚なのです。

 巧妙な擬態を生み出す生物の「進化」。その不思議さを、改めて感じます。

■筆者プロフィール

科学ジャーナリストの山本智之氏

山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長、朝日学生新聞社編集委員などを歴任。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。X(ツイッター)は@yamamoto92