山本智之の「海の生きもの便り」

2023年1月 Writer: Tomoyuki Yamamoto

第23話 怪魚「ヨコヅナイワシ」の見つけ方とは?

ヨコヅナイワシ=海洋研究開発機構提供

ヨコヅナイワシ=海洋研究開発機構提供

 深海魚をめぐる様々なニュースの中でも、ここ数年で最大のトピックと言えるのが、巨大深海魚「ヨコヅナイワシ」(Narcetes shonanmaruae)の発見です。海洋研究開発機構(JAMSTEC)の藤原義弘・上席研究員らの研究チームが2021年1月、新種の魚として論文に発表しました。

■生きた姿、エサつきのカメラで撮影に成功

 新種の魚の発見は、たとえば小型のハゼの仲間などでは、よく耳にします。しかし、全長が1mを超す巨大魚の新種となれば、話は別です。こんなに体の大きな魚が、長年その存在を知られることもなく日本の海に生息していたとは、本当に驚きです。
青黒く光る体、そして、大きな鱗――。ヨコヅナイワシの異様な風貌は、まさに「怪魚」そのもの。捕獲された個体が、神奈川県立海洋科学高校所属の実習船「湘南丸」の甲板に引き上げられたとき、その姿を初めて見た乗船者からは、「シーラカンスが釣れたのか?」と驚きの声があがったそうです。
研究チームは、「深海延縄(はえなわ)調査」によって、駿河湾の水深2171m~2572mで複数のヨコヅナイワシを捕獲しました。そして、「ベイトカメラ」と呼ばれるエサつきのカメラを駿河湾の深海底に設置することで、ヨコヅナイワシが海中を泳ぐ姿を撮影することにも成功しています。

■「環境DNA調査」で新たな分布海域を発見

 海洋研究開発機構の研究チームは2022年7月、ヨコヅナイワシに関する新たな調査結果を発表しました。それによると、ヨコヅナイワシは最初に見つかった駿河湾だけでなく、本州のはるか南に位置する海山の周辺にも生息していることが明らかになりました。
実は、発見された当初から、ヨコヅナイワシは駿河湾の外の海域にも生息しているのではないかと藤原さんら研究者たちは考えていました。しかし、駿河湾からこれほど遠く離れた海域にヨコヅナイワシがいるとは、想像していなかったといいます。

 この新たな調査のキーワードは、「環境DNA」です。
もしその海域にヨコヅナイワシが生息していれば、体の表面からはがれた皮膚や鱗、ふんなどに含まれるDNAが、ごくわずかに海水中に含まれているはずです。調査では、海洋研究開発機構の海底広域研究船「かいめい」から海中に「ロゼット型採水器」という装置を降ろしました。この採水器を使って、さまざまな海域で計2・6トンもの海水を採取してDNAを分析していたところ、ヨコヅナイワシの生息場所が新たに浮かび上がったのです。

海洋研究開発機構の海底広域研究船「かいめい」=山本智之撮影

海洋研究開発機構の海底広域研究船「かいめい」=山本智之撮影

■全長2.5mの大物がいた!

 調査の結果、駿河湾よりもはるかに南の海域にある三つの海山やその周辺で、ヨコヅナイワシのDNAが検出されました。このうち、元禄海山南方の水深2091mの海底にベイトカメラを沈めて行った調査では、実際にヨコヅナイワシの姿を撮影することができました。
カメラを投入し、生きた姿を撮影できたことで、ヨコヅナイワシがそこにいるというより確実な証拠が得られました。つまり、環境DNA調査の結果について、いわば「答え合わせ」ができたわけです。

環境DNA調査に使われたロゼット型採水器。1本12リットルのボトルが計36本搭載されている(左)。ヨコヅナイワシの生息が確認された地点(右、赤い三角印)=いずれも海洋研究開発機構提供

環境DNA調査に使われたロゼット型採水器。1本12リットルのボトルが計36本搭載されている(左)。ヨコヅナイワシの生息が確認された地点(右、赤い三角印)=いずれも海洋研究開発機構提供

 駿河湾で研究チームが捕獲したヨコヅナイワシは、最大の個体でも全長は約1.4mでした。ところが、海山の周辺で行った新たな調査では、それよりもはるかに巨大な全長約2.5mの個体が見つかりました。これは、水深2000m以深に生息する深海固有種の硬骨魚類としては、世界最大の記録です。
この‘巨大ヨコヅナイワシ’は実に堂々としていて、風格があります。海底に設置したエサ入りのかごに集まったほかの深海魚たちを、大きな口を開いて追い払う様子が確認されました。「映像を見て驚きました。圧倒的な大きさでした」。藤原さんは、そう振り返ります。

大きく口を開き、ほかの深海魚を追い払うヨコヅナイワシ=海洋研究開発機構提供

大きく口を開き、ほかの深海魚を追い払うヨコヅナイワシ=海洋研究開発機構提供

 この写真は、ヨコヅナイワシに威嚇されて、目玉の大きな黒い魚が画面の左側へ逃げる場面です。追い払われている側の魚は、ソコダラ科のイバラヒゲ(Coryphaenoides acrolepis)。ヨコヅナイワシに比べると小さく見えますが、実際には全長が80cmほどもある大型の深海魚です。

■やっぱり海はナゾに満ちている

 「環境DNA」の研究が始まったのは1980年代。当初は、湖などに存在する微生物の調査に用いられる手法でした。2008年に、ため池に生息するウシガエルの分布調査に使えることを示す論文が発表されたのを機に、様々な生物の調査に活用されるようになりました。

 川や湖、そして海の水をくむだけで、どんな生物が存在するのかが分かる。その手軽さが、研究者たちの注目を集めたのです。
現在ではさまざまな種類の魚や外来種のウチダザリガニ、住血吸虫の調査まで幅広く使われるようになりました。2018年には「環境DNA学会」が発足するなど、いまホットな分野となっています。ヨコヅナイワシを対象とした今回の調査結果がまとまったことで、環境DNA研究にまた新たな1ページが加わりました。
新種の巨大深海魚ヨコヅナイワシの発見をめぐる一連の調査結果は、科学が発達した現代においても、深海の世界は‘未知のフロンティア’であることを示しています。海は広く、深く、そして、まだまだ私たちの知らない多くのナゾを秘めているのです。

■筆者プロフィール

科学ジャーナリストの山本智之さん

山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長、朝日学生新聞社編集委員などを歴任。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。