2021年7月 Writer: Tomoyuki Yamamoto
第5話 シオマネキの分布が北上
■ダンスをするカニ
海辺のカニたちが、活発に動き回る季節になりました。日本の海に生息するカニは1000種余り。その中には、「チゴガニ」や「コメツキガニ」のように、独特のダンスをするカニたちがいます。
スナガニ科の「シオマネキ」も、ダンスをするカニの一種です。オスは、大きなハサミを振り動かして「ウェービング」(waving)という動作を繰り返し行います。このときのハサミの動かし方が、まるで満ち潮を手招きしているように見えるため、「潮招き」という名前がつけられました。
成長すると甲羅の幅が3・5センチほどになり、干潟に深さ20~50センチの巣穴を掘って暮らします。オスがウェービングをするのは繁殖期で、メスに求愛したり、オス同士が互いに牽制しあったりするのが目的です。ハサミを高く振り上げることで、遠くにいるメスに見つけてもらいやすくなるという側面もあるようです。
鳥類のクジャクは、オスが大きく美しい羽を扇のように広げます。それと同様に、シオマネキも大きなハサミを振り動かすことで、自分の存在をメスにアピールするのです。
オスのハサミのうち、左右どちらが巨大化するかというと、実は個体ごとにバラバラです。右のハサミが巨大化する個体と、左のハサミが巨大化する個体の比率は、ほぼ1対1。左右どちらのハサミが大きくなるかは遺伝的に決まるとみられますが、その詳細については現在、研究が進められているところです。
シオマネキのエサは、干潟の泥に含まれる珪藻などの微細藻類や有機物です。ただ、オスの巨大化したハサミは、エサをとるのには不向きなため、小さいほうのハサミで食事をします。
ごくまれに、どうしたわけか、左右のハサミが両方とも巨大化してしまう個体がいて、和歌山県白浜町や台湾で観察例があります。ハサミが両方とも巨大だと、エサをとるのが難しいのではと心配になりますが、こうした個体の場合も、二つのハサミのうち比較的小さいほうを使ってどうにか食事をするそうです。
■東京湾に出現、温暖化の影響か?
シオマネキは日本のほか、台湾やベトナム、朝鮮半島、中国大陸に分布します。日本の海辺でよくみられるほかのカニ類とともに、オランダの動物学者デ・ハーン(1801-1855)によって学名が与えられました。デ・ハーンは江戸時代に、シーボルト(1796-1866)が日本で収集した甲殻類の標本を研究した人です。
現在、シオマネキが国内で特に多くみられるのは、九州の有明海沿岸や四国の徳島県・吉野川河口域です。オスがハサミを振り上げる「ウェービング」が観察できる時期は、吉野川河口域では6月~8月です。一方、沖縄本島では、6月~9月に加えて12月~翌年3月にもみられます。
このように、シオマネキは、暖かい海を中心に分布する南方系のカニです。ところが近年、これまで生息していなかった東京湾に、複数の個体がすみ着いていることが明らかになりました。
もともとシオマネキの生息域は、紀伊半島が北限とされていました。実際、いま書店に並んでいる比較的新しい甲殻類図鑑でも、分布域は「紀伊半島~沖縄」と表記されています。ところが、その分布域の北限が、塗り変わりつつあるのです。
奈良女子大名誉教授の和田恵次さんらの研究グループは2004年、シオマネキが従来の分布域を超えて、静岡県・伊豆半島に生息していることを論文で報告しています。そして、さらに北に位置する東京湾でも、新たに生息が報告されたのでした。
シオマネキが見つかったのは、東京湾に面した千葉県木更津市の干潟です。2015年にまず6個体が見つかりました。
調査結果を2016年、東北大の柚原剛・博士研究員と千葉県立木更津東高校の相澤敬吾教諭(当時)が論文にまとめて発表しました。この年の夏には、同じ場所で20個体以上が確認されています。
シオマネキのメスは、生まれて2年で卵を産むようになります。1個体のメスが1万個~9万個の卵を腹に抱えます。そこから幼生が誕生し、海に泳ぎ出ます。浮遊幼生として海を漂うのは約1カ月。ゾエア幼生、メガロパ幼生と姿を変え、稚ガニになります。
シオマネキがどのようにして東京湾にたどり着いたのかは、はっきりしていません。南の海域で生まれたシオマネキの幼生が、黒潮に乗って東京湾にたどり着いたのかもしれませんし、九州産のアサリを東京湾にまくときに紛れ込んだなどの可能性もあります。ただ、いずれにしても、従来の分布域よりも北の海域で越冬するようになっており、温暖化に伴う気温や海水温の上昇が影響しているのではないかと私は考えています。
相澤さんによると、木更津市の干潟では、今年の4月にも立派なハサミを持つオスの姿が確認されました。
東京湾のシオマネキは、2015年から2021年にかけて、少なくとも6年連続で越冬したことになります。
ただ、分布を東京湾まで北上させたシオマネキですが、この先もずっと安泰とは限りません。シオマネキは泥や砂泥がある場所を好みますが、近年の台風や高潮の影響により、木更津の干潟では一部の泥が押し流されてしまいました。また、カニを好んで食べる外来種のアライグマの足跡が、シオマネキの生息地近くの海辺で数多く見つかっており、こうした天敵に捕食されてしまうリスクもあります。
様々な困難を乗り越えて、シオマネキは東京湾に住み続けることができるのか。相澤さんは「これからも引き続き、観察を続けていきたい」と話しています。
■筆者プロフィール
山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。
環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。
1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。
2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。
朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長などを経て2020年から朝日学生新聞社編集委員。
最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。