2024年2月 Writer: Tomoyuki Yamamoto
第36話 激レア生物「アミダコ」との遭遇
■出会いは突然に
静岡県・伊豆半島の大瀬崎でこの冬、とても珍しい生物に出会いました。大海原を漂いながら暮らすタコの一種「アミダコ」(Ocythoe tuberculata)です。
場所は、大瀬崎の湾内。そのとき私は、はまゆうマリンサービスの相原岳弘さんと一緒に、ビーチからゆっくり潜降しようとしていました。すでに腰のあたりまで水につかっていた私たち2人に、岸辺にいた別のダイビングショップの方が、大声で知らせてくれました。
「アミダコいるみたい!!」。大瀬館マリンサービスの真木久美子さんでした。その興奮した様子から、何かただ事でない雰囲気を感じました。大瀬崎には複数のダイビングショップが軒を連ねています。同業者どうし、互いにライバルでもあるのですが、人間関係のネットワークがしっかりとしていて、珍しい生物が現れると、その情報を共有してくれるのです。
当初は死滅回遊魚の水中撮影をするつもりでしたが、予定を急遽変更し、海面近くで目撃されたというアミダコの捜索をすることにしました。
■遠くから見ると「クラゲが1匹?」
大瀬崎の湾内には、潮通しが良い場所と、よどんで浮遊物がたまりやすい場所とがあります。アミダコは、潮の流れや風で寄せ集められた浮遊物の中に、紛れ込んでいるかもしれません。海面に枯れ葉などが多く浮ぶエリアを中心に探しました。
クラゲが1匹、ポツンと海中を漂っている――? 遠くから見たアミダコの第一印象です。
近寄ってみると、それはクラゲではなく、体が透明な尾索動物の一種「オオサルパ(Thetys vagina)でした。複数のサルパが数珠つなぎになった「連鎖個体」から1個だけちぎれたものです。長径は10cmほど。その中に、クリッとした目の小さなタコが入っていました。初めて遭遇する「アミダコ」です。
■ナゾに包まれた生態
琉球大学の池田譲教授(頭足類学)は「アミダコの暮らしぶりはナゾが多く、生活史のほとんどが不明です。たとえば、自然界で何を食べて暮らしていのるかも、まだよく分かっていません」といいます。池田さんによると、アミダコは地中海や太平洋、大西洋に広く分布し、一生海中を漂いながら生活すると考えられています。
今回撮影したアミダコはオスで、すでに性成熟しているとみられますが、腕を伸ばした長さは10cmほどしかありません。一方、メスのアミダコは、大きな個体では全長96cmに達するとの記録があります。アミダコのメスは、オスに比べて圧倒的に体が大きいのです。池田さんは「アミダコのメスは、体内に浮き袋を持っており、浮力を得て遊泳することができます。これは、頭足類としては極めて珍しいことです」と教えてくれました。
■「フットボール」のタコ
アミダコの胴体の表面には、小さなイボ状の突起がたくさんあります。突起どうしは、低い隆起で互いにつながっており、全体として網目状に見えることが「網蛸(あみだこ)」という名の由来です
一方、英語でアミダコは「フットボール・オクトパス(Football octopus)」と呼ばれます。これは、楕円形をしたメスの胴体の形が、アメリカンフットボールの試合に使われるボールによく似ているためです。
■なぜサルパに入って泳ぐ?
今回撮影したアミダコのオスは、透明なサルパの被囊(ひのう)を内側からしっかりと吸盤でつかんでいました。それにしても、なぜわざわざ、サルパの中で暮らしているのでしょうか。
池田さんは「はっきりとした理由は科学的に解明されていませんが、おそらくクラゲなどの外敵から身を守るためでしょう。アミダコのオスは、サルパを『安全な乗り物』として利用しているようです」と話します。
小さなタコにとって、大海原は自分の命を狙う敵の多い危険な世界です。オスだけでなく、メスのアミダコも、体が小さなうちはサルパの中で暮らします。
■「こぶとりじいさん」のこぶの正体
下の写真は、遊泳中のアミダコを横から撮影した1枚です。よく見ると、体の側面に、「こぶとりじいさん」の絵本に出てくるような丸い「こぶ」(黄色い矢印の先)があることがわかります。
実はこの「こぶ」は袋状になっていて、その中には、オスだけが持つ「交接腕(こうせつわん)」という特殊な腕が、コイル状に巻いた状態で収納されています。繁殖の際に、オスは交接腕を伸ばし、メスの外套膜のすき間に「精莢(せいきょう)」を差し込みます。「精莢」というのは、精子の塊が入った細長い莢(さや)です。こうしてオスからメスへ、精子の受け渡しが行われます。よく目立つ立派な「こぶ」は、成熟したオスの証だったのです。
池田さんによると、アミダコは「卵胎生」で、メスは20万個ほどの卵を産みますが、その卵を体の外に出すことはありません。受精卵はメスの輸卵管の中に蓄えられ、赤ちゃんは孵化するまでメスの体内で育てられます。
■冬の大瀬崎は「びっくり箱」
水中カメラを構えてアミダコの撮影をしていると、その日に大瀬崎に来ていたほかのダイバーの方々も、情報を聞きつけて続々と海中に集まってきました。その中には、水中写真家の峯水亮さんの姿も。アミダコについて峯水さんは「外洋を漂う種類のタコなので、こうして沿岸で見られるのはまれなこと。むちゃくちゃ珍しいですよ」とうれしそうに話してくれました。
「アミダコの特徴は、腕を振り上げたバンザイのポーズです。そして、普通のタコに比べて漏斗が大きくて長い。この漏斗から海水を噴射した勢いで、大きなサルパを操縦しているんです」
峯水さんは過去にも何度かアミダコを撮影した経験があるそうですが、「このサイズの大きなオスを見るのは今回が2回目。前回は2018年2月で、そのときも大瀬崎でした」といいます。
アミダコのような「激レア生物」に思いがけず出会えてしまう大瀬崎の海――。ここはやはり、すばらしい海域なのだと改めて思いました。特に冬季は、外洋から入り込む潮の流れに乗って、ふだんは見られないような珍しい深海魚などが岸近くまで運ばれてくることがあり、潜るたびに「びっくり箱」を開くような楽しさがあります。「冬の大瀬崎は、何が出るか本当に分かりませんね」と峯水さん。同感です!
■筆者プロフィール
山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長、朝日学生新聞社編集委員などを歴任。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。X(ツイッター)は@yamamoto92。