2023年5月 Writer: Tomoyuki Yamamoto
第27話 クリオネの仲間たち
■こう見えても「巻貝」の仲間です
「流氷の天使」としておなじみのクリオネ。正式には「ハダカカメガイ」(Clione elegantissima)といいます。その姿からはちょっと想像しにくいのですが、分類学上は「巻貝」の仲間です。
実は、卵から孵化した直後のクリオネは、壺のような形の貝殻に入っています。ところが、孵化後24時間ほどで、その貝殻を脱ぎ捨ててしまうのです。不思議な生態ですね。
「蘭越町貝の館」(北海道蘭越町)の山崎友資館長によると、クリオネは、その体のつくりにも巻貝らしい特徴がみられます。
それは、「歯舌(しぜつ)」という器官です。歯舌には餌をかきとる役目があり、やすりのような構造をしています。歯舌は、軟体動物の中でも腹足類(巻貝の仲間)や頭足類(イカ・タコの仲間)などに特有の器官で、同じ貝類でも二枚貝は持っていません。
■クリオネは1種類ではない
そもそも「クリオネ」という呼び名は、ラテン語の「Clione」という属名(ハダカカメガイ属)に由来します。クリオネは1種類の生物ではなく、国内外の海に複数の種類が分布しています。
北海道の海でよく見られる「ハダカカメガイ」は体長が2~3cm程度ですが、世界の海を見渡すと、巨大なクリオネも存在します。北極圏や大西洋に生息し、「世界最大のクリオネ」として知られる「ダイオウハダカカメガイ」(Clione limacina)は、体長が8cmほどの大きさになります。「大王」とは、いかにも迫力のあるネーミングですね。
■南半球にも生息
ハダカカメガイ属の特徴は、イソギンチャクの触手のような形をしたバッカルコーン(buccal cone)という器官を3対6本持っていることです。バッカルコーンは日本語では口円錐(こうえんすい)と呼ばれ、エサをとるときに使います。
一方、近縁のペドクリオネ(Paedoclione)属の場合、バッカルコーンは4本しかないとされています。
北半球に生息するダイオウハダカカメガイ (Clione limacina)は、かつては南半球にも同じ種類のものが分布していると考えられていました。しかし、分子系統学の研究をもとに2015年、南半球に生息するのは別種だとする論文が発表されました。
私は水産庁の漁業調査船「開洋丸」に約2カ月乗船し、南極海の調査航海に同行取材したことがありますが、プランクトン用の採集ネットにびっしりと入り込んだクリオネたちの数があまりに多く、びっくりした経験があります。このクリオネは、「ナンキョクハダカカメガイ」(Clione antarctica)という種類です。
■「未知のクリオネ」が存在する?
いまのところ、南半球に生息するクリオネの仲間としては、ナンキョクハダカカメガイの1種だけが知られていますが、北半球では近年、新種のクリオネの発見が相次いでいます。
山崎さんは2017年、北海道立オホーツク流氷科学センターと共同で、クリオネの新種を約100年ぶりに発見し、「ダルマハダカカメガイ」(Clione okhotensis)と名付けました。種小名の「okhotensis」は、発見海域のオホーツク海にちなんだものです。
山崎さんは同年、富山大学との共同研究で、富山湾の深海からもクリオネの未記載種を発見しています。このクリオネに正式な名前がつけば、世界で5種目の新種となる見込みです。
国内外の海でこれまでに報告されたクリオネたちを表にまとめると、下記のようになります。山崎さんによると、今後の研究によって、新種のクリオネがさらに発見される可能性があるそうです。新たな論文の発表に期待したいと思います。
■「海の天使」は肉食性
国内外に生息するクリオネの中でも、テレビの映像などで最もよく見かけるのはハダカカメガイです。
優雅な姿から「海の天使」にもたとえられるハダカカメガイですが、その食性は「肉食」です。しかも、とても「偏食」であることが知られており、海中を泳ぐ「ミジンウキマイマイ」(Limacina helicina)という小さな巻貝ばかりを食べて暮らしています。
ハダカカメガイは、ミジンウキマイマイのにおいを察知すると襲いかかり、大きく開いた「バッカルコーン」でしっかりと捕まえます。そして、ミジンウキマイマイの体に「ホック」という牙のような器官を突き刺し、その肉を切り刻んで食べるのです。
「ハダカカメガイのバッカルコーンは、ミジンウキマイマイの硬くツルツルとした貝殻をうまくつかめるように特化していて、表面には滑り止めがついている」と山崎さん。ハダカカメガイは、ミジンウキマイマイを食べるように進化した生物だといいます。
■クリオネが直面する危機とは
そこで問題となるのが、いま世界の海洋で一斉に進みつつある「海の酸性化」です。人間活動によって大気中の二酸化炭素が増えたことで、海に溶け込む量も増え、海水の性質が酸性に向けて傾きつつあります。
その結果、ハダカカメガイの大切なエサであるミジンウキマイマイが、将来、絶滅するのではないかと心配されているのです。
ミジンウキマイマイは北半球の寒帯から亜寒帯の海に広く分布し、国内では主に北海道~東北地方でみられます。カタツムリのような姿の巻貝ですが、その殻は非常に薄く、平均で5マイクロメートル(マイクロは100万分の1)ほどの厚さしかありません。そして、殻を構成するのは、炭酸カルシウムの結晶形の中でも海の酸性化に対して脆弱な「アラゴナイト」というタイプです。
海洋研究開発機構の木元克典・主任研究員によると、北極海などの海域では近年、酸性化の影響で殻が溶けたり、穴があいたりしたミジンウキマイマイがすでに見つかっています。
もし将来、ミジンウキマイマイがいなくなれば、エサを食べられずにハダカカメガイたちも絶滅する可能性があるのです。
山崎さんは「クリオネという可愛い海の生き物を入り口として、多くの人に海の酸性化の問題を知ってもらいたい。そして、脱炭素社会の実現に向けて取り組むきっかけにしてほしい」と話しています。
■筆者プロフィール
山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長、朝日学生新聞社編集委員などを歴任。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。