2022年6月 Writer: Tomoyuki Yamamoto
第16話 「不老不死」のクラゲ
■「若返り」をして、生き直せる
ベニクラゲ類は、「不老不死の能力を持つクラゲ」として有名です。命の危機に直面すると、自身の体を変化させて「若返り」をし、生き直すことができるのです。
この信じられないような現象は、1990年代にイタリアで発見されました。ベニクラゲ類の中でも、チチュウカイベニクラゲ(Turritopsis dohrnii)という種類での報告です。
日本の海に生息するベニクラゲ類にも、同じように若返り能力がある――。その事実を突き止めたのは、元京都大学准教授の久保田信さん(ベニクラゲ再生生物学体験研究所長)です。久保田さんらは2003年に、日本のベニクラゲ類も若返ることを示した最初の論文を発表しています。
「不老不死は、人間にとっては究極の夢です。同じ動物でありながら、ベニクラゲはそれを実現できると知って、驚きました」という久保田さんは、その後もずっとベニクラゲの研究を続けています。
■日本の海には3種が分布
ベニクラゲ類は北海道から沖縄まで日本中の海でみられます。北海道~九州の場合、海を漂うクラゲとしての姿がみられるのは、主に夏の季節です。
かつて日本の海に生息するベニクラゲ類はただ1種と考えられていましたが、現在は「ベニクラゲ」「ニホンベニクラゲ」「チチュウカイベニクラゲ」の3種がいることが分かっています(=表参照)。
日本に分布する3種のうち、沖縄などに生息するチチュウカイベニクラゲは、船のバラスト水に混じって海外から運び込まれた「移入種」かもしれない、とも言われています。
■「そっくり」でも若返らない
世界の海ではこのほかに「タイセイヨウベニクラゲ」と「チュウゴクベニクラゲ」が知られています。ただ、ベニクラゲの仲間ならどの種類も同じように若返り能力を持つわけではないらしく、タイセイヨウベニクラゲについては、若返りは報告されていません。
また、日本の海には、ベニクラゲと外見がよく似た「ベニクラゲモドキ」(Oceania armata)というクラゲがいるのですが、姿がそっくりなこのクラゲも、残念ながら若返り現象は確認されていません。
ベニクラゲが「若返り」を起こすきっかけとなるのは、命の危機にさらされた際の強いストレスです。たとえば、体が傷ついて大きなダメージを受けたときがそうです。久保田さんによると、実験で傷つけて若返らせる際には、ベニクラゲの体を針で100回前後も突き刺して刺激を与える必要があるそうです。
このほか、生まれて数ヶ月たって老化による衰弱が進んだときや、塩分の低下、低温といった生息環境の悪化も、若返り現象の引き金になります。
普通のクラゲは、成長して老化が進むと、死んで海中に溶け去ってしまいます。しかし、ベニクラゲは死に直面すると、体が退化して「肉団子」のような状態になります。この肉団子から、植物のような姿のポリプが育ち、ポリプから元気な若いクラゲが泳ぎ出すのです。下の図は、この「若返り」のプロセスを含めたベニクラゲの生活史を描いたものです。
■ヤワラクラゲも若返る
肉団子からポリプを経て、若いクラゲが泳ぎ出すまで2カ月ほどかかります。久保田さんは、沖縄で採集したチチュウカイベニクラゲを使った実験で、同じ個体が2年間で10回ほど若返りを繰り返すことを確認しています。
その後の研究で、若返りの能力は、ベニクラゲと同じ「ヒドロ虫綱」のクラゲである「ヤワラクラゲ」(Laodicea undulata)も持っていることが明らかになりました。また、「鉢虫綱」の2種のクラゲについても報告されているそうです。
調べれば調べるほど、海の生きものたちが持つ特別な能力が、次々と明らかになりつつあります。
■和歌山県に「体験研究所」
もういちど若い頃に戻って、人生をやり直したい――。そんな願望を抱く中高年にとって、若返り能力をもつクラゲたちは、ちょっとうらやましい存在かもしれません。久保田さんは、子どもから大人まで、世代を超えてベニクラゲの不思議さや生物学について興味を持ってもらおうと、2018年に「ベニクラゲ再生生物学体験研究所」を和歌山県内に開設しました。ここでは、完全予約制で一般向けの体験学習を行っています。参加者は、展示物を見ながら久保田さんの解説を聞いたり、ベニクラゲの標本のスケッチに挑戦したりできます。
「不老不死のクラゲ」について詳しく知りたい方は、和歌山県へお出かけの際に、ぜひ訪問してみてください。
■筆者プロフィール
山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長などを経て2020年から朝日学生新聞社編集委員。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。