山本智之の「海の生きもの便り」

2021年11月 Writer: Tomoyuki Yamamoto

第9話 変わりゆくサンゴの分布

海底を一面に覆う南方系サンゴの「スギノキミドリイシ」=和歌山県串本町沖、山本智之撮影

海底を一面に覆う南方系サンゴの「スギノキミドリイシ」=和歌山県串本町沖、山本智之撮影

■日本近海の水温は100年で1.16℃上昇

 地球温暖化に関する新たな報告書が、今年8月に発表されました。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の「第6次評価報告書」(第1作業部会報告書)です。
 いま進みつつある温暖化について、「本当に人類の仕業なの?」と疑問を投げかける人々も世の中にはいます。しかし、今回発表された最新版の報告書は、大気や陸上、そして海で起きている温暖化について、人類の影響によるものであることは「疑う余地がない」と明記しました。従来よりも踏み込んだ表現で、人間活動によって放出された温室効果ガスが温暖化の原因であると断定したのです。
 報告書によると、産業革命前に比べて世界の平均気温はすでに1.09℃上昇しており、今後の気温上昇に伴って、深刻な干ばつや豪雨がさらに増える見込みです。そして、最悪のシナリオの場合、今世紀末には世界の平均気温は4.4℃高くなると予測しています。
 私たちが暮らす日本列島をとりまく海でも、温暖化は確実に進みつつあります。気象庁によると、日本近海の海面水温は、100年あたりに1.16℃のペースで上昇を続けています。
 海水温の上昇は海の生態系に大きな影響を与え、生き物たちの顔ぶれも変わっていきます。そのことを教えてくれる生物グループのひとつが、造礁サンゴです。

日本近海の海域平均海面水温(年平均)の上昇率(℃/100年)。2020年までの100年間で1.16℃上昇した=気象庁HPから

日本近海の海域平均海面水温(年平均)の上昇率(℃/100年)。2020年までの100年間で1.16℃上昇した=気象庁HPから

■サンゴの種類が徐々に変化している

 冒頭の写真は、ダイビングスポットとして人気の高い和歌山県・串本の海で私が撮影したものです。細い枝状のサンゴが海底をびっしりと覆っています。これは、南方系の「スギノキミドリイシ」というサンゴで、かつてはこの海域ではみられなかった種類です。

串本の海の「主役」として親しまれてきたサンゴ「クシハダミドリイシ」=2006年、山本智之撮影

串本の海の「主役」として親しまれてきたサンゴ「クシハダミドリイシ」=2006年、山本智之撮影

 串本は本州最南端の町だけに、もともと海底には様々な種類のサンゴが分布しています。串本のサンゴの中でも「主役」といえるのは、平べったい形の「クシハダミドリイシ」という温帯適応種のサンゴで、海底に広がる美しい景観が多くのダイバーに親しまれてきました。
 しかし近年は、南の海からやって来た「新顔」のスギノキミドリイシが、その勢力を拡大しています。串本の海で、スギノキミドリイシが初めて見つかったのは1995年。背が高く、成長スピードが速いのが特徴です。場所によっては、スギノキミドリイシだけがびっしりと海底を覆う様子も見られるようになりました。
 串本の海には115種のサンゴが分布していますが、このうち15種は1990年代以降に新たに見つかった南方系サンゴです。こうした変化は、海水温の長期的な上昇傾向が原因と考えられます。
 黒潮の流路が変動して沿岸の海水温が低下したり、寒波が襲来したりといったことをきっかけに、いったん串本の海に進出した南方系サンゴが相当数、死滅するような年もあります。ただ、長期的には海水温は上昇し続けています。このため、長い目で見るとやはり、串本のサンゴの種類は今後さらに変化していくことになるでしょう。

■南方系サンゴ、伊豆半島にも進出

 南方系サンゴの姿は近年、串本だけでなく、伊豆半島や房総半島でも目立つようになりました。その一つが、「エンタクミドリイシ」と呼ばれるテーブル状のサンゴです。

分布の北上が報告された「エンタクミドリイシ」=静岡県・伊豆半島の大瀬崎、山本智之撮影

分布の北上が報告された「エンタクミドリイシ」=静岡県・伊豆半島の大瀬崎、山本智之撮影

 たとえば、伊豆半島西部の田子の海に潜ると、円形や楕円形のテーブル状サンゴが、あちこちの岩の上に点在しているのが見えます。それぞれの群体はかなり大きく、直径30cmほどのものも珍しくありません。特に大きな群体は60cm近くに達しています。

海中の岩礁上に点在するテーブル状サンゴと筆者(写真左)=静岡県・伊豆半島の田子沖

海中の岩礁上に点在するテーブル状サンゴと筆者(写真左)=静岡県・伊豆半島の田子沖

 テーブル状サンゴのエンタクミドリイシは、もともと南九州や四国などの温暖な海に多い南方系のサンゴで、1970年代に伊豆半島で行われた調査では分布の記録が全くなかった種類です。
 国立環境研究所によると、日本列島の沿岸各地で分布を北上させているサンゴのうち、北上のペースが最も速いのはスギノキミドリイシです。東シナ海沿いでの分析では、年間に14kmというハイペースで北上したことが判明しました。一方、エンタクミドリイシは北上スピードが比較的遅い種類とされますが、それでも太平洋沿いで年間2~5km、東シナ海沿いでは年間8kmのペースで北上していることが確認されました。
 こうしたサンゴの分布の変化には、特に冬場の水温の底上げが大きく影響していると考えられています。
 従来なら南方系のサンゴは、海流に乗って幼生が北上し、海底に定着したとしても、緯度の高い海域では寒い冬を越せずに死滅するのが普通でした。ところが、海水温が上昇したことで生き残りやすくなり、分布が北へ広がりつつあるのです。今のところ、日本の造礁サンゴの分布の北限は、太平洋側は房総半島、日本海側は佐渡とされています。しかし、温暖化が進む将来は、さらに北へと広がりそうです。

■筆者プロフィール

科学ジャーナリストの山本智之さん

山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長などを経て2020年から朝日学生新聞社編集委員。最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。