山本智之の「海の生きもの便り」

2021年6月 Writer: Tomoyuki Yamamoto

第4話 ワタリガニをめぐる謎

昔から親しまれてきた「ガザミ」と「だんじり祭」

「ワタリガニ」の名で昔から親しまれてきたガザミ(左)。大阪・岸和田の「だんじり祭」(右上)と大阪湾産ガザミのボイル(右下)=いずれも山本智之撮影

■大阪湾名物の「ワタリガニ」

 「ワタリガニ」という呼び名で知られるガザミ。船のオールのように平たい形の「遊泳脚」を使って、海中を泳ぎ回ることができます。大きなものは重さが1キロを超し、食用のカニとして国内各地で漁獲されています。
 大阪・岸和田では、「だんじり祭」のときに、真っ赤にゆであげたガザミを客人にふるまうのが昔からの伝統です。ガザミは旨味が強く、甲羅の中のミソも濃厚で美味。大阪湾は昔からガザミが多く漁獲され、祭に欠かせないご馳走として親しまれてきました。
 大阪湾ではピーク時の1956年には、645トンもの水揚げがありました。しかし近年、その漁獲量は昔に比べてとても少なくなっています。
「私が子どものころは、ゆでたガザミやシャコを夕涼みのおやつによく食べていましたよ」。そう語るのは、大阪府立環境農林水産総合研究所の元主任研究員・鍋島靖信さん。鍋島さんによると、1955~74年の漁獲量は年平均で約134トンありました。ところが、1975~94年は約77トン、1995~2014年は約54トンにまで低下。ここ数年は平均で約24トンと、かつての5分の1以下のレベルです。
 なぜ、これほど減ってしまったのでしょうか? 「ガザミの稚ガニは、岸に近い砂地の浅瀬で育つ。大阪湾には昔はたくさんの砂浜があったが、工業地帯を作るための開発で埋め立てが進んだ。これが、ガザミが減った最大の原因です」。鍋島さんはそう指摘します。
 ガザミはもともと漁獲量の変動が大きいことが知られており、天敵のマダコや貧酸素水塊の発生状況などによっても、その年の漁獲量は左右されます。しかし、長い目で見たとき、開発によってガザミの子どもたちが暮らす場所が奪われてしまったことが、大阪湾のガザミの減少を招いたと考えられます。

■宮城県でなぜか大発生

 ガザミは中国や韓国にも分布しますが、国内では主に西日本で多く漁獲されてきたカニです。ところが近年、主要な産地ではなかった宮城県で、なぜか大量に漁獲されています。
 宮城県のガザミ漁獲量は、1960年代以降はずっと「年に数トン程度」でした。ところが、2012年以降に急増したのです。宮城県水産技術総合センターによると、近年で最も豊漁になった2017年の水揚げは714トン。これは、1990~2010年の平均値(3・4トン)に比べて、なんと210倍です。2020年は298トンで同87倍。まさに桁違いのレベルです。
 なぜ宮城県で大発生するようになったのでしょうか。はっきりした原因は分かっていませんが、同センター環境資源チームの矢倉浅黄さんによると、①水温の上昇によって暖水性のカニであるガザミの生息に適した環境になった②2011年に発生した東日本大震災の影響で浅海域の底質が変化した、などの可能性が考えられます。
 ガザミが漁獲されている仙台湾の海水温について、矢倉さんは「水温上昇が顕著なのは11月。冬に向けて海水温が低下する時期が、以前よりも遅くなっている」と指摘します。

宮城県におけるガザミ漁獲量の推移

宮城県におけるガザミ漁獲量の推移

 ガザミの寿命は2~3年。秋に交尾し、メスは精子を体内に蓄えたまま越冬し、翌年の5月ごろから数回に分けて産卵します。ふ化後は、海を漂う幼生期を経て稚ガニとなり、海底での生活を始めます。飼育実験では、水温が低いとガザミの成長スピードは低下し、脱皮の間隔が長くなることが分かっています。逆に、海水温が高いと早く成長して大きくなれるため天敵に襲われやすい期間が短くてすんだり、早く繁殖に加われるようになったりというメリットが考えられるといいいます。
一方、震災に伴う浅海域の底質の変化では、特に仙台湾西部の海底で泥(シルト)の面積が増えたことが分かっており、これがガザミの増加にプラスになったというのが二つ目の仮説です。
ただ、北海道でも、ガザミや近縁種のヒラツメガニを含む「がざみ類」の漁獲量が2019年は108トンと、以前(1990~2010年平均)の114倍になっています。北海道での急増は、震災の影響ではうまく説明がつきません。結局、北の海で近年、なぜガザミが大発生しているのか、そのメカニズムは今のところナゾに包まれています。

■筆者プロフィール

山本智之さん

山本智之(やまもと・ともゆき)
1966年生まれ。科学ジャーナリスト。東京学芸大学大学院修士課程修了。1992年朝日新聞社入社。
環境省担当、宇宙、ロボット工学、医療などの取材分野を経験。
1999年に水産庁の漁業調査船に乗り組み、南極海で潜水取材を実施。
2007年には南米ガラパゴス諸島のルポを行うなど「海洋」をテーマに取材を続けている。
朝日新聞東京本社科学医療部記者、同大阪本社科学医療部次長などを経て2020年から朝日学生新聞社編集委員。
最新刊は『温暖化で日本の海に何が起こるのか』(講談社ブルーバックス)。ツイッターも発信中。